ワインと登記簿とドメインと

By: xlibber

寝かせた者勝ち。

ワインは飲まないので知らないが、寝かせたものが高い評価を受ける傾向にあることは知っている。

登記簿は会社の登記簿のこと。

どれくらいの人が知っているかは知らないが、買収などではない会社の売買が行われている。特に違法なことでもなく、会社を辞めたい人から、会社を起こしたい人や熟成された会社の登記を買いたい人に売買されるもの。ドメインはインターネット上の住所だなどと一般に例えられる。ヤフーならYahoo.co.jpで、グーグルならGoogle.comなど。

これらをある視点から見ると、それが長期間存在したことそれ自体に値打ちがつく。もちろん、単純に長い年月放置すればいいかといえばそうではない。

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ワインについてはその程度の知識しかないので放置するとして、会社の登記は法務局に登記された時からの年数を設立年数ということもできる。これが第三者に渡っても、その内容がまるで違おうともお構いなし。

私の知っているある事例では、それまで食品関連の会社だったある会社が売買され、ある時からIT関連の会社になった。つまり、内容がそっくり書き換わったけれど、割り振られたIDではないが、書の書類の内容が変更されただけで、新規に登記したのとは違う。

これを悪用というかどうかは知らないが、”当社は創業○年”などと法務局という役所のお墨付きで堂々と公開することもでき、相手を信頼するに足る情報にすることもできる。もちろん、最初から意思決定に誤解をまねくような記述をしたなら、それはそれでよろしくないこととして処罰の対象にあんることもあるから、悪い人たちはそのへんを上手にこなす。

ドメインも同じで、昨今投げ売り状態にあり、新しいドメインの種類もどんどん出てきている。種類というのは.comや.infoなどのこと。新規顧客獲得などの名目で投売りされるそれは、10円だとか99円だとかあるいは内容によっては無料でもらえたりもする。

これは、ドメインを付与する代理業者がドメインの保有数を伸ばし、あたかもたくさんのドメインを管理・申請しているかのように振る舞いたいのかもしれない。

ちなみに、この手法は”出荷台数国内No.1!”などと言っている大手パソコンメーカーでも平然と行われている手法で、私の知っている事例では10万円弱するコンピューターが1万円台で売られている。もちろん正規品で新品だ。

メーカーは出荷台数を調整するためにこれらの事象を承知しているものへ出荷し、次期モデルの発売時のパンフレットに以前での文句を使うわけだ。

そしてこの事象を知っているものらは、コンピューターを安く購入することができる。そのまま転売しても十分価値のあるものだから、知らない人間だけ損をすることになるのだが。

ある検索エンジンでは、利用者が入力した検索語にもっとも適したサイトを案内することでその存在意義を主張する。検索者が求めている情報に合致するほど、再利用者が増え、ついてはリピーターが増えるという仕組みだ。

この仕組の1つに、ドメインがどの程度以前に取得されたかという情報もある程度加味される。どんなに優れた内容であっても、その内容に見合う評価を得るには時間がかかる。

そこで、以前での登記変更のように以前から存在したドメインの内容が気書き換わったものとして新しくオープンさせる。ことに、それまで要評価を得ていたドメインや誰もがほしがるような名前のものであれば、ドメインの値段は恐ろしいほど釣り上がる。

ドメイン戦争などとも言われるほど激化していて、実際に法定にまで持ち込まれている。この法定でのできごとは多くの波紋を投げかけた。なぜなら、ドメインは世界に1つしかなく、重複することはない。そして早い者勝ちが大原則だった。

ところが、少なくとも日本の法定はこれを適切な知識も持ち合わせぬまま判決を下し、似通ったものや大きな企業にのみ有益に作用する判決をだしてしまった。しばしば日本の法定はコンピューター関連に対して適切な知識や評価を持ち合わせないと言われる。

本来平等であるはずの法もそれを行使する側の人間がその人間の理解を超える次元の話になった途端、間違った解釈をされる。つまり、イメージでのみ判断されうる可能性がある。

これにも実際の例があり、関連する人間が公正に証言しても、その証言が採用されることはなかった。この内容は労士関連に絡むもので、ひとりの人間の許容を超える仕事量を与えたことに起因して自殺に追い込まれたというものだった。しかし、司法は、いや、司法や一般人の認識として、コンピューター関連の人間の評価は”椅子に座って楽をしている”としか見えないようだ。

つまり、理解出来ないという現実がある。理解されなければ正しい判決も出ないようでは司法は平等に作用しているとは言えないのではないだろうか。芸術家と同じく、その苦悩は自分の脳みそや自分との戦いに忍耐強く当たれるもののみが続けることができる高貴な仕事であることは不変だろう。

すべてにおいて正しい評価や情報とは一体なんなのか、常に考えさせられる。時に自分が正しい情報や判断を出きたとしても、周囲がこれを理解できるだけの能力持ち合わせいて無かったら、正しいものが異端とみなされる。

魔女狩りのように。

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