初めての給料で孝行した話を聞くと微妙に痛い

高校時分の事だけれど、ずいぶん遠くに行った。その時一緒に行ったたぶん自分以外の全員は、周囲の人間への当然の配慮として何かしらの土産を持ち帰った。自分も確かに土産を持ち帰ったけれども、一緒に行った人たちが目を向けた人には無かった・・。

彼らは別に何も価値あるものを買ってこいというのではなくて、例えるなら飴玉ひとつでも十分に機能するケースなのは、今になればよくわかる。自分が経験した事の少しを彼らと共有することができる素晴らしい機会だったのかもしれない。こういうつまらないことで、人間関係というのは変わっていくのだろうねとも思う。

念のため言っておくが、彼らに感謝はまるで持ち合わせていないし、そうであることは、彼らも身を持って知っているから、このケースでは特段の変化は当然無い。ただし、良くなる可能性が皆無であったわけでもないかもしれないとも思う。

 

そういう基本的なことが欠落しているのか、それとも伝承されなかったのかはここでは問わないが、言えることは、その表現の仕方を手に入れたのがつい最近のことなのではないだろうかという恥ずかしい話。

それがわかってから、改めて、孝行した話というのを聞くと、地味に効いてくるものだ。

今後に活かそう・・・。

 

っていうのを書こうと思ってちょっと思った。

これらは、気持ちを表すものとしての行動のひとつなのだろうけれど、もしかしたら、一定程度の社会経験、成長、あるいは自立を表現する機会なのではないだろうか。それが巡り巡って結局のところ本当の意味での孝行という事なのではないだろうかと今更気がついてしまったどう仕様もない自分があるorz

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