不幸は蜜の味というハナシ

By: coolio-claire

ここだけの話とか秘密の話を聞かされることはそれなりにあるし、種類によっては私に話してくれたことを嬉しく思う。

ところが、秘密を秘密として保管しておいても、当の本人がいつの間にやら言いふらしていることもあって、真剣に保護していた情報への労力が一体何だったのかと思うこともある。こういう事例を除けば、秘密は秘密だから、もちろん他の人に流布するわけもなく、その実績から打ち明けてくれることもある。

ところが、思いもしない重い話を打ち明けられることがある。それこそ文字通り墓穴まで持っていかなければならないような内容で、もし間違ってでも口が滑ってしまったら、知っているのは私だけだから容易にバレる。また、バレなかったとしても打ち明けられた側は、今度はその重さに耐え続けなければならない。

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ある事例として、ある国で重要な秘密を打ち明けられたクラスメートがいた。彼女はその秘密を一生懸命守ろうとしたけれど、あまりの重大さに耐えかね、ついに彼女の母親に打ち明けた。これによって秘密を持ちかけてきたクラスメートは御用となった。

秘密とは不思議なもので、秘密にしたいはずの人でさえ、誰かに話したくなってしまうし、打ち明けられた人はそれにずっと耐えなければならない。秘密という嘘に匹敵する情報管理を要求されるそれは、同様に莫大なエネルギーを消費することになる。

私の最も身近な異性に妹がある。互いにある程度オトナになってもなお、親は存在する。そして秘密も。ある時、ある秘密をどのように扱うかを話し合った。奇しくも全く違う理由で出た答えは同じものだで、そのまま伝えることに決着した。

妹は打ち明けたあとに情勢が悪化することが容易に想像できたとしても原則そのまま打ち明ける。一方、私は、各方面が丸く収まるように情報やタイミングをコントロールする。

(そのような状態になってしまったのには、それなりの理由があるのだがここでは割愛するとして)私は幼少の頃は嘘つきだった。この嘘は自分を保護するために身についたもので、虚言癖と良い勝負ができるほど高度なものだった。だが、小さな世界から大きな世界へ広がり、そして幼少の頃とは比較にならない莫大な情報管理をしなければならなくなり、ついには破綻する。

この時、一切のそれをやめることにした。

それ以来、なんとも心地の良いものだった。嘘をつかないようにするために正しい行動を選択的に行い、それにともなって自分の評価や信頼は向上する。しかし、何でもかんでも言いたい放題できるようなエネルギーは持ち合わせていないから、方便程度のものは容認した。同時に嘘ではないけれど、言い方を少し変えるだけで大きな効果を持つ言葉の力にも惹かれていった。

これまで述べてきたものは、自分や他人に対して多くのエネルギーが要求された。それは各々が真剣にその秘密や嘘に向き合ってきたからだ。しかし、万人がそう言うわけでもない。

ある人は周囲の信頼が全くなく、これには親類など身近なものも含まれる。そういうレッテルを貼られた場合、彼女には丁度よい程度の情報が与えられる。当然、まったく情報を出さないことも選択できるのだが、秘密を出すということは秘密を持っている人間の重圧を少しは和らげることになり、また、情報を提供したことによって自分への信頼度も増すことができる。

これは心理学の分野で語られる内容だが、他人への重要な情報提供は自分への情報提供や信頼を増加させることができるのだという。さらに言えば、自分への不穏な動きを知ることができるように知らぬ間に他人を配下に置こうとしているのかもしれない。

この彼女は、躊躇うことなく全く必要としていない状態で不意に私に秘密を話す。

・・・そして終わる。

彼女は情報を知っている優越感に浸りたいだけのために情報を漏洩し、さらに信頼を失うことに全く気がついていない。自分の快楽だけのために他人の秘密、多くの場合不幸話を撒き散らす。

それはまさに先人の言う「不幸は蜜の味」そのものだ。

あるいは「王様の耳はロバの耳」なのかもしれない。

残念ながら、私は彼女の知っている情報は当然に、それ以上の情報やその情報が”彼女用に”コントロールされたものであることも知っているし、少なくとも私は井戸ではない。

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