
By: Beverly & Pack
成功を得るためにはたくさんの失敗が必要であるということを教えているにもかかわらず、それを許さない国民性がある。
見回すと、どうやらアジアに多く感じられ、では、他の地域では寛容なのはなぜかと探せば、それは宗教なのかもしれない。許しを請う、許される宗教だから、至極当然のことなのかもしれない。
日本国の法によれば、新たに人格をつくるこができる。平たく言えば、会社を作ることが許されている。会社というものに人格を与えることによって、法に基づいた取引が可能になるという理屈のようだ。
ところが、実際蓋を開けてみれば、日本人の大好きな「連帯責任」が常に伴う。
人格を与えたにも関わらず、何ら信頼を与えることはない。
よって、誰かに保障させるわけだが、当然にしてそれは挑戦者自身になる。
うまく法定手続きを行えば、身ぐるみ剥がされることはない。
だが、実際には、そうなるケースは稀だ。
結局のところ、挑戦する事さえ許さない。
日本人に対して上手に告げ口させるシステムが最近動き出したが、それによれば、以前より10倍もの告げ口があったという。本音と建前がまかり通る国民性だからかもしれないが、目の前いいる人間でさえ信頼出来ないのは寂しいことだと強く思う。
しかし、それは同時に察するという美しい文化でもある。
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