「システム」

By: blue.tofu

閉鎖的な彼らとは違い、作成された解決策で新たに発生した問題点を話し合い、また他の誰かが解決策を見つけ出し、やがて本体に取り込まれることになり・・・となっていく。

コミュニケーション能力も必要となるけれど、コニュニティ自体がすでに多国籍であることが多いし、目的がハッキリしているから、個々の事情は置いておき、すべきことに専念できる。

自己の利益は他人の利益に。

そうやってどんどん発展していくし、同時に淘汰されもする。

日本国内においても淘汰されることは確かにあるけれど、それは大変に遅い。

なぜなら、日本国民はネームバリューにたいへん弱いからだ。よく言えば信頼ということだが、悪く言えば、バカの一つ覚えだ。その信頼できる根拠は何かというところを突き詰めていくと、単純に名前でしか無い。

古い日本国民は、新しいものが嫌いだ。なんといっても「前例」がないのだから。前例がなければ「前へならえ」ができないから、ダメなのだ。同じ事を常にしようとして、改善することは悪となる。

KAIZENという言葉が世界に出て行くにもかかわらず、本家本元では、改善が悪とは笑うに笑えない。

だからか、日本国の法律は、新しものを常に生み出さないようにしている。他国の例を見れば、とにかく許可する、自由を与える。それがもし上手くいったなら、課税して、税収を得る。得られた税収は適切に配置あるいは分配される。

何より、ユーザーの支持を得られる利便性に優れたものが速やかに世にでるということは、すでにその時点で、それまで必要だった労力や費用が削減されている事になる。

また、日本国民は、失敗を許さない。特にレッテル貼りが大好きな民族のようで、逆に言えば、何かしらのレッテルを貼らなければ収まらないようだ。

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