文系は嘘つき

By: pallina60 Loon

彼女が面会した科学者は、一様に楽しそうにわかりやすく語るという。

これはおそらく概念的なものを身近なものに例えて理解させようとする工夫で、日本の書籍にはあまり見かけないが、海外の書籍には多分に取り入れられている事が多い。あまりの豊富さに、一体何を読んでいるのかわからなくなるほどだ。面白いことに、これは専門性が高度になっても変わることなく、むしろ、高度になるほどに増えていくようにも感じる。

日本の教育においては、「暗記すること」や「(一般的に)正しい(とされる)結果を(望むように)答える」ことが正しいとされるから、「問題を認識して解答する力」は、もともと持ち合わせていなければ皆無だ。有名な例は「このへん」だろう。

逆に、海外の教育や専門の書籍は、とてもうまくステップアップできるように書かれていて、序盤では専門性のカケラもない。とにかく概念的なものをイメージさせることに集中し、時折、質問される。教えられるはずなのに、だ。

この質問は、日本で言うところの「小テスト」のようなものだが、そういったストレスを感じることなく身構える必要もなく、「やってみよう」という気持ちにな る。(教えるための)「イメージ」から(回答するための)「イメージ」が(主導権が相手から自分へ)スムーズに遷移できるのも特徴だ。

読んでいるはずなの に、いつの間にか楽しく参加している様子は、さながら教室でギターを弾き語る教師が目の前にいるようでもある。

By: Daniel Novta

ある電子工学系の入門書では、まっさらな状態から(思うように)「やってみろ」という表現がある。また、ある時は、(必ず失敗する手順を)「やってみろ」という。

失敗を恐れ、それを悪とする日本ではありないものだ。だが、面白いのは、「失敗しただろう?(笑)」と続き、「ではなぜ失敗したのか考えてみよう」と続き、「実は危険なことなんだ」と終わる。

予め失敗し、それが危険なことであることを体験させているから、何かをしようとした時、「失敗する例を知っている」し、「失敗したのは何故だろう」と自然に考えられるようになる。もちろん、それが許される範囲での危険性であることは、予め計算されているところも安心できる。

体験する事は本能だ。

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